去る8月25、26日に美術史学研究室のゼミ旅行で小浜・金沢に行って参りました。
見学させて頂いた場所は、羽賀寺、多田寺、明通寺(それぞれの重要文化財として木造十一面観音菩薩像、薬師如来立像/十一面観音立像/菩薩立像、木造薬師如来坐像/木造降三世明王立像などが挙げられる。)、そして石川県立美術館「ロイヤルアカデミー展 華麗なる英国美術の殿堂」、金沢21世紀美術館「レアンドロ・エルリッヒ展 The Ordinary?」の計五カ所。一泊二日という短い期間ながらも多くの美術作品に触れることが出来ました。
そこで見てきた具体的な作品の質や、時代、社会、あるいはより大きな精神史の中への位置づけといったことはアメリカ戦後美術を専門とする私には今のところ手に負えることではありませんが、個人的には次のことを再認させてくれる二日間でした。
それは、作品の前でたたずむ時間が美術史学という学問において啓示のはじまりとでも言いうる時間になるということです。
図録を通して作品に接することの方が圧倒的に多い中、寡黙に静かに(それは沈黙というカタチかもしれませんが。)過去からのメッセージを発し続けている作品をじっくり眺める時間は美術史学徒である限り不可避なものです。趣味的にただ〈見るということ〉に充足することも受容の一つのカタチとしてはありえますが、時に教えられ、学び、知っているはずのものとの違和や、一体いま目にしているものは何なのかという根底的な動揺をも呼び起こす時間こそが、それ以前の自分の〈視〉と〈知〉の構成/再構成を余儀なくさせるのだということを今更ながら強く意識することになりました。いやはや、お恥ずかしい限りです。
あと、四回生の方々の尽力もあってほぼ順風にゼミ旅行を終えることが出来たこと、ここに記して感謝いたします。
(レアンドロエルリッヒ展カタログの値段、、、もやし生活でも始めようかな。) 【執筆T】